土日祝日。
僕はそういう日ほど仕事だったりライブだったりするのだけれど、
電車内は穏やかで、家族連れや「お出掛け」といった様相の人間が多い。
こちらの心にゆとりがあるときは、こんなに美しい情景もないなぁと思う。
視点の変化
スマホ依存の僕のようなものは、ついつい周りを見ることを忘れてしまうのだけれど
ふと見上げたときに目に付いたのは、白いワイシャツを着た老夫婦。
ほんとここ最近は視点が変わって。老人様の動向が他人事とは思えず、自分の未来として映るから、注視してしまうのだけれど
そのお二人は、昔の映画でよく見たような清潔感のある格好で。麦わら帽子をして、なんとも美しく思えた。
気づいたときには下車直前であったので、表情から心は読み取れはしなかったが、
その後ろ姿に、自分ののち30年にはこんな可能性がまだ含まれているんだよと
そんな希望と、説教を頂いたような気分になった。有難い。
先輩は背中で語る
そういうものなのだなぁとここ最近はつくづく思うのだけれど、
ついつい言葉に頼って、それっぽいことを言って補おうとする。
それはきっとそんな背中を持ち合わせていないからに他ならないが、
僕が今の今まで未来に希望を持てなかったのは「大人なんてクソで墓場だ」といったような精神を
どこかしこで受けてきたからのようにも思うし、勿論自分自身が、早々に諦めてしまっていたからだと感じる。
なればこそ、言葉に頼らず身をもって
きっと誰しもが、幸せになるべきなのだろうと思う。
ひとのヘイトは我がヘイト
いつか邪険に扱った誰かは、
きっとどこかでそのヘイト(嫌悪)を吐き出しているに違いなくて
かの有名な「ペイフォワード」という映画に習うならば、それは不幸を先んじて世間に撒き散らすような行為であって
それはいずれ蔓延していく。
そうして最後には自分のところへ還ってくることも、ままあることだと思われるから
僕たちは幸せにならなくちゃいけない。
それは誰かのためでもあるのだと、
そう思っていいと感じる。