思いの強さ、というのは理性で操れたり、整えられたりするものでもない。
生きてきてこれまでにも、周りと自分との温度差に
苦しむこと、恥ずかしくなることは多くあった。
反応する
思いが強いことで得すること、というかスムーズに進むことは多いなと感じる
ポピュラーなのは「好きなこと」「好きなもの」だとかっていう感覚。思い。
それというのは、人の潜在能力なり、モチベーションを引き出すのには必須項目だ
それはきっと思い込みでよくて、というかそれ以上のこともない。まやかしでいい
自分が自分を騙す、ということが難しいからこそ冒頭の話に立ち戻る。
それさえ出来ればねぇ、という話である。
他人様は他人様
さも当然な話だけれど”他人様の皮膚を隔てた先”はこちらの憶測でしか見えない。視えた気でしかない。
胃カメラや解剖、脳の検査などをしたところで、心の内容を覗くことは容易ではない。見えた”つもり”にはなれど、2019年現在、視えたりはしない。
しかしそれこそが好機。「人の思い」を操作するならば、それこそが穴。盲点。(ざわ…)
他人様に騙して貰えばいいのだ(誇張表現)。「この世は素晴らしい」「生きる意味がある」と信じさせて貰えば良い。
(いやもちろん、真実であるに越したことはないけれど)
他人様と関わることで、そういった信念(思い)の強さは、よく意図せずとも利用される
友情、愛情、同情、そのどれもが利己的を超えた思いに押された自分のパワーを発露させ
通常の自分ならば考えられないような、限界突破を辞さない思い(信号)が湧いて出たりする。
これを利用しない手はないのだ
個人主義の人が増えた
在宅ワーカーも増えた
人と(近距離で)関わらないことは楽な面もたくさんある
言ってしまうと、さっきの「思いの強さ」に振り回される(パワーの暴走)ことを避けられる。諸刃の剣ではあるということ
それを排除した世界ってのは「思いのまま」だろうと思う。
良くも悪くも、それ以上もそれ以下もないと思うから、自己のコントロールに長けた人ってのはそのスタイルがハマってるんだろう。
でも僕は違う。残念ながら駄目。コントロールが出来ないので、人と関わる。関わり続けるを選ぶ。is LOVE.
つい5、6年前に痛感したんですけど、僕には根本的な生きる気力ってものが備わらなかったんですよね
排他的というか、無気力というか、この世界の終わりに興味がなかった。
そこに理由をこじつける為には、人と関わることでしか見出せなかった。
パワーアイテム
お守りだとか、憧れの人のサインだとか、グッズ、手紙。
信心深い人もバンギャもヲタも伝説の勇者も僕も、「なにかすごいもの」の信仰心によって
本来は、なんでもない町工場のおじさんが大量にプレスしただけの紙切れをアレンジされたものを大切に抱えることで、腹の底から湧くようなパワーを得る。
これってのは「思い入れ」が無いと生まれないこと
外からのチカラのようだけど、紛れもなく自分の変化(操作)による反応、自分自身のポテンシャルだ。
今朝、僕は妻に握ってもらったおにぎりを持って職場に向かっているのだけど
これがあることで、午後を踏み切れる確信が持てる。
ロックマンでいうならばE缶のような備えであるが、僕にしか効果のないことだろうと思う。
予期せず、意図せず僕はこのスーパーアイテム(量産可能)を手に入れられる環境を築けたのだな、と思い立ったのがこの文章の発端。
もう恋なんてしないなんて、言わないよ絶対。いや、恋愛じゃなくてもいいけれど、今回のこういった点から、人と関わらないように生きるってのは得策じゃアない(最近GYAOでジョジョを見てる)
そうあってほしい。幸せに、達者でやれよ。ただそれだけが日々の願いです。
どうか。