人はなぜ、襟をカッコよく感じるのか。
ふと疑問に思ったのです。
イラストレーションを眺めていて
または描いていて、ふとキリッとした立襟を
イカしてんなぁと感心したところで
気づくわけです。
なんで?と。
本来生身の人間にはないフォルムです。”本能で感じ取っている”というなら尚更、何故そのフォルムに良し悪しすら思えるのか。今回はそれを掘り下げてみようと思います。
ちなみに
タイトルの深津絵里さんは関係ありません。とってもお綺麗な方だとは思います。
仮説を立ててみる
立襟に、似ている体の部位を探してみるとするなら
おそらく「鎖骨」です。
鎖骨メニアという人もいると聞きます。セクシーさを醸すような要素が何かしらあるんでしょう
他種族の動物たちに鎖骨を求められたことはないので、せいぜい人間たちの嗜好なんだろうなとは思いますが
立襟には「勇ましさ」も感じます。感じませんか?
稀代の英雄たちには立襟が似合います。ファンタジーも含み
鎖骨が突き出して耳の横の当たりまで伸びているとするなら、ある種悪魔的なフォルムですね
しかしその奇妙な様相にカリスマを感じるのかもと思えば、そんな気もしてきます。
でもまぁ、考えてはみても仮説の域を超えませんね。何なんだろう。
話は変わりますが
変わるというよりは応用編なんですけど、
そもそも「イケメン」とか「美人」とかの概念てどっから来るんだろうってな話なんですよね。
突き詰めていけば、それぞれの趣味で変わってくることは前提としても
どこか絶対的な感覚があると思うんです。「(好きではないけど)綺麗な顔立ちしてるよね」みたいな見方を、誰しもできると思うんです。
いわゆる黄金比、というやつなんでしょうかね。
男性から見た「おっぱい」なんてものもまさにそれで、よく見ればただの丸いものですからね。
それをこれ見よがしに見せつけられてドヤ顔されたときには思わず問いかけたくもなりますよね
「それってさぁ。何なのかなぁ」って。
目から入る情報に脳みそを支配されんばかりに魅了されてまとわりつかれるような感覚
これが僕はいつも不可解でして、そう易々と受け入れられないんですよね。
疑心
なんか”いつだかから自分の中に埋め込まれたモン”に操作されてるような気がしちゃって気持ちが悪いというか
釈然としないというか。
だからこうして、自分の素直なところとは離れて考え観察をしてみるんですけど、
そうすると殆どのことが不明瞭になるんですよね。好きとか嫌いとか、可愛いとかカッコいいとか、良いとか悪いとか。
この境界線が全部曖昧になる。というかそのザマがきっと本来の姿なんだろうと思うんですけど、
これはこれで何かマズイような気にもなるんで、開けた蓋をそっと閉じる日々です。
自分を引っ張る磁力のようなものを根こそぎ取り去るような活動を主に僕はこの人生で費やしてきたようにも思うのですが
それらを取り去った先の自分が、それでも何を求むるのか、というのを
知れた先にはどうにも、光がないようにも感じています。
所詮は動物、それを自負しながらも「禁断の実」のエピソードが物語るような、
禁断の意識の中にうっかり入れ込めそうになるのを今日もまた寸止めして、今日もまた人間をやることを選んだようです僕は。