アイキャッチ画像はセブンで見つけた魅惑的なそれ。本文とは関係ない。
昨今現代病とまで言われる歩きスマホや脇見運転など、
わるくすれば生死に関わるような事故にも繋がるような「ながら行動」。
恥ずかしながら僕もスマホを手放せない。
今は自宅。
帰って来るなり、ゲームをオートにし”ながら”、洗濯機を回し”ながら”、風呂に入って来て、
入り”ながら”こんなコト(文章)、をもやもやと考え
出て髪を乾かし”ながら”、つらつらと別の携帯(本来の携帯はゲーム中)でこの文章を打ち込んでいる。
気が多い、とも何か違う。明らかに混沌とした、病的なそれである。
合理性
本来は『合理性』を見てのことだったと思うんですよ。それらは。
スマートフォンなんて、便利の権化。何でも出来てしまうことから、「ながら作業の象徴」とも言えると思います。
一つあると、色々が操作出来てしまうから「スマホを触る」という行動の本質はそれぞれで
外からでは判断がつきません。
ある人は晩飯の献立を。
ある人は作詞を。
ある人はゲームを。連絡を。
大事なことですら、ながらで済ませられてしまうものですから
内容が内容でも、内容が”ナイ”ようで…
古き良きといいますか、そういう”趣”はなくなりつつあります。
ながらの本懐
ながら行動の本懐は、合理的であることなように思うのですが、
その殆どが寧ろ、
「効率の悪い」「身にならない」ようなものばかりに思います。
僕はそのせいで(?)、殆どのことを記憶にまで留めていません。(*ゲームやアニメのキャラクターの名前を全く覚えない、など)
実際、気が散っているのでしょうね。
最近、ウワサの「ドラクエ11」を
通算120時間かけてクリアした僕なのですが(平均でそれくらいかかるそうな)、
昔ならば「ゲーム好きなそうちゃん」の印象が地元ではあったような男でして、
それがしかし今回は、なんとも久しぶりな感覚でした。
恵まれないストレス
ゲームともなれば、ワクワクが止まらなくなり、夜とも朝ともなく夢中で楽しい楽しい時間が過ぎていたものですが、
両手・両目・思考を羽交い締めにされるようなものは「ながら」とは相性の悪い(?)ものですから(それで正しいんですよ?)…
反面、えらくストレスを感じながらプレイすることになりました。
これは”理解できない方には全く出来ない感覚”かも知れませんね。
自分でも実に馬鹿らしい話だと思います。
たとえば
わかりやすく伝えるならば「彼女の反感を買う」「ギターに触れなくなる」などの弊害がありました。
総じて、時間の浪費感が半端じゃありませんし、
ことRPG(ロールプレイングゲーム)というジャンルは1人用が殆どですから、3次元での発展性が全くと言っていいほどありません(しそれでいいもの)。
兎に、角、1人用なんです。これが現在の僕には、『非常に』良くなかった….。
時間
数年前『時間が幾らあっても足りない』と嘆く友人に対し、
当時”自殺志願者候補生”みたいな、”ゾンビみたい”な生き方をしていた僕は
嫌味交じりに「俺はもう半分でいいや〜www」などと何とも稚拙なことを言いまして
呆れさせてしまったことがあったんですが…。
実に不毛なメンヘラな、そして不敬な物言いをしたもんだと反省します。
何より今となってはリア充な僕←ですから、確かに時間が(というよりは体力が)幾つあっても足りないようなことは日々感じていますし、
『あと何回こうして彼女と眠れるのだろう…』と考えながら眠り、うなされるような夜が頻繁に訪れる可愛い32歳(無職)←ですから
とどのつまり、ゲームをしている時に巡るもの、それは
『罪の意識』これでした。
再三の合理性
仕事ならお金になるし、音楽なら喜び(自分に加えて誰かの)になる(かも知れない)。
ライブの持ちネタが増えたりギターも上手くなるかも知れない。
血となり肉となるようなものが、これこそ本当の意味で「合理的に」二次作用が生まれるようなこと
ゲームをしてる時間がそうならない(僕にはそう出来ない)ことが明白過ぎて、
実に辛い気持ちになることが多かったです。(内容は面白かったはず)
これは完全に、僕という人間特有の感覚だとは思うのですが
なかなかにハードな混沌に居ました。
ようやく終わって、正直、
安堵と爽快感が尋常じゃない。肩の荷が下りたような気さえしています。
おかしな話なんですよ。「娯楽」が、重荷だなんて。
でも事実ですし、これはまるで売れないバンドマンにとっての「音楽」のようなものだなぁと思います。
『真面目にやらなきゃ。』
変な話です。音楽はふざけてやってもいいんです。人生だってそう。
『ふざけんなよ、ふざけろよ』って奴です。
最近、ワンクール毎に更新されるアニメを追い掛けるのをやめ(てみ)ました。
テレビが無いのもあるけれど、漫画ならまだしも、あいつには必ず30弱の時間を持ってかれますからね。
一日のうち起きてるのが15時間(9時間睡眠)とかが平均だとしたら…
その約7分の1(*大袈裟に言ってます)!!
面白いコンテンツがどんどん増える。娯楽産業。追い掛けてたらキリがないですよ。でも気になりますよね?見逃せないのが人のサガ。ロマンシング・サガ。
だからこそいっそゼロにしてみるようなこと。これが功を奏して感じます。
ちょっと目を閉じていられる時間が増えました。他のことを整理できる時間が増えました。
苦肉の策なのかも知れませんけどね。
名作を見逃してしまうのかも知れない。
でも”知らないものは知らない”から、
心は安寧を保ってくれます。(今のとこ)
心の穴を埋めるもの
金食い虫と言いますが、『時間食い虫』の多いこと。
それは非常に有意義なのかも知れないし、上質なのかも知れない。
心の穴を、変幻自在に埋めてくれる。そういうものだと思います。娯楽って。
いったら鉄のような
“熱のある内は”ドロドロと形を自在にして、心の穴にジャストフィット。
しかしいざ固まってしまえば、タチが悪い。凝り固まったあとには窮屈な拘りがストレスすら生む。
身動きが取りづらくなる。
「ルールだ」「ルーツだ」と、オタク精神のようなものが芽生えて、片足を突っ込んだ、という状態になる。
これは薬にも例えられる。
薬は風邪が治ってしまえば無用なもの。
風邪が治った後にも服用していけば、副作用もありそうなもの。即ち毒にもなる
それが娯楽。音楽も、ゲームも、アニメも、そうなり得ると感じる。
いつの間にか逆転現象。深入りしてしまって仕事のようになり、呪いのようになり、依存する。蔓延する。
これが怖いんですよね。
だから、軽薄に手放す。
なにもしないをする
と、
まぁこのように。
僕は何かをし”ながら”こんな事をバァーーーッとまとまらずまとめられず考えて(終いには何にもならず)しまいます。
20歳の頃に務めた倉庫作業の折には、トイレに行ったフリして思い付いた歌詞をかき止めたりメロディを吹き込んだり(これが曲にはならなかったり没になるんだからまた不毛)している自分にハッとしたのを覚えています。
そうして早々と『あぁ俺、まともな職には着けませんわ』と諦めて
一ヶ月で辞めて。その給料丸々もらって免許を取る→ちょっと自由を得る
→運転も出来るから、と兄貴の仕事を手伝わされる→やっぱりすぐさま爆発→大阪にいきなり一人旅にでる
→「つまり」という曲の歌詞の一節になる→その少しだけ手伝った兄貴の仕事で得た給料でギターを買う→未だに使う——–と、
またいくらでも枝葉が伸びてしまう。
僕という人間はこのブログのタイトルにもあります通り『なにもしないする』
ということが本当に苦手で
彼女といても、ふと別のことを思い付いてしまい、落ち着きのない様子にお叱りを受けることが日に5、6度ありますから。始末に負えない。
それはツイッターをフォローしてミュートもせずにいて下さる方々にはお分かりいただける事かも知れません。
今後『まともな人間』として矯正していくことを展望に置いておられる彼女さまにおかれましては、
長い目で見ていただけやしないかと、切に願うわけでありますが
先ほども申しました通り僕ももう32歳。
そろそろ年貢の納め時なのではないかと自分でも思いながらも、
少しだけ、自分の人生を愛でるような心が過ぎるわけです。
おさまらないところで今回はこんなところで。
長々とお読みになって頂き、有難うございます。
チンしたカレーがすっかり冷めて、洗濯機も回りきって待ち惚けしています。
また気の向いたときに。