読んで字の如く。
この総屋内業務時代に於いて、お空の下でのご飯というものが、如何に体や心に響くのかというものを説いていきたい。
ついつい近場でお馴染みで
社内の食堂や、コンビニ飯。少しでも休憩時間を余すことなく休憩(思考停止)したい。
そんなことを考えがちではあるのだが、それは近道のようで遠回り。そんな風に思う。
ほんの5分出向くだけで都心ならば公園の1つや2つあるものだ。否、なくてもいい、何でもいいの。探せ
オシャンなオープンテラス、はなんか違う気がしているんだけどどうだろう。
会社のベランダに出るだけでもいい。日射は直接浴びなくてもいいけど、せめて風
涼やかな風なんかは是が非でも浴びたい。(イヤホンなんて絶対したらダメ!)
疲労回復といえば
目を閉じたり、とにかく動かないこと。省エネ。そう連想するのは無理ないし、実際そうであることも否めない
が、人間、自分の限界は浅めに作り出すものであるし
何より「ツライツライ」と唱え続ける呪文は実際効果は絶大であり、自らを更に貶めることも往々にしてある。
それに人間というのはどうやら、行動することが消費するばかりの構造ではないというのが僕の認識。
科学的根拠も何もないが、飽くまで個人的感覚の話。
体と心
リアリストにしてみれば大事にすべきは「体」のようにも思うのかも知れない
でもやっぱり人間にしろ生き物を支配しているのは「心」もとい脳みそであり、体を司る脳みそさえ丸め込んでしまえばこちらの思惑通りであることは明白。
体を騙すにはまず心から、そういうことであると思うのだ。
つまり、億劫なことを避けるべく、無難無難に過ごしていては、予期せぬことは起こらないというリスク回避が働くものの、
同時に、”予期せぬこと以外は起こらない”というリスクも伴う。(何を言っているかわからないと思うが〜…)
それは実に退屈で、それこそ消費消費の自転車操業未満の愚行であると僕は言い切ってみる。
人を超越したものが直ぐそこに
そういつだって空はそこにある。
どんなビル群に囲まれていようが、行っても行っても空の見えない環境というのは中々あるものではない。
持ってきたものか買ってきたものかはわからないが、そのお弁当を持って外に出掛けよう。
もっともらしいことを言って上司に伝えて、なんならみんなを連れてさぁ行こう。
まずは深呼吸。これ1発でもうこの記事の言いたいことの殆どが伝わると思う。
飲み物は水がベスト。夏場ともなれば汗だくでいい。汗に風が当たるとより涼しくて、屋内での扇風機やエアコンの気色の悪い温度とは段違いの快感をお届け。(あ、汗だくになってくると塩分足りなくなるから、飲み物は色々考えたいとこではありますね…)
吸ったら吐く、食べたら出す、お金も気持ちも溜め込んでばかりでは詰まっていくもの。
何をしても気分が晴れない、と思っていたあなたも、こんな簡単なことで気分が晴れるとは想像し得ないのかも知れないけれど
一度体験してしまえば、きっといざという時にまた選択肢として迎えられると思います。
理由のないことは理由のないことで
解決策の見つからない、糸口の見つからない、そんな悩みを解くカギは案外トンチ1つで解決するもの。
誰に話しても、何を投げ捨てても、具体的なことではラチがあかない。
それはつまり「理由がないから理屈で解けない」ということなんだと思うのです。
鍵穴のない扉に鍵をグリグリしたところで、無駄でしょ。
その扉は横開きの襖なのかも知れませんよ。
いわゆるモヤモヤって奴が溜まっているなら、大枚叩いてテーマパーク行くだとか旅行行くだとかもいいけれど
数式に数式を打つけても予想の範疇のことしか起きない。割り切れた先には小さな価値、プラスマイナスの先にはゼロしかない。
そんなの計算をしてみただけで、何かを得ることには繋がらない。その壁や屋根はあなたを守っているのか、はたまた閉じ込めているのか…。
グダグダ申してはみましたが、先ずは一案。試しに一度、外ご飯を是非。