好きでやっているのだから
そんな文言を、僕もまた自分で高らかに言ってみたりもしてきたけれど
これは妥協を肯定するときにしかつかったことがない。
心満ちるに値するには届かない
好きでやっているのだから、
それを色恋に当てはめた場合、実に理不尽な構図になるのはおわかりいただけるのではないか。
自分に微塵も興味もない相手に、身を捧げ心を捧げ時間を捧げ続けることが
無償の愛だとしたとしてもだ。
僕にはやはりそれは不完全なものに思える。
はたから見ている分にはいい
何か御涙頂戴な物語ならば、拍手の1つも送りたくなるような関係性なのかもしれないが
友人が例えばそんな恋に身をやつしていたとするなら先ず止める。やめておけ。時間の無駄だ
それがときとして届かないこともあるだろうし、自分がいざその立場にあれば融通が利かないこともあるだろうなとも思うが
その顛末に、明るい未来がある気は全くしないのだ。全く。
大切なのは循環
よく言われる需要と供給というやつだ。
手渡したからには、失ったからには、その空白を埋めるような対価を頂かなければ
どこかに無理が祟る。
与えるばかりでなく、何かしら喜びや感動を受け取れるような関係を築けなければ、自ずと瓦解していく
好きでやっているのだからこそ、
好きなものにこそ、見返りを求めているのが心というものではないのかと思いながら
今日も絵を描いたり歌を書いたりして、自分が生きてたいと思えるような得も知れぬ感動を
求めていることを、否定してはいけないなと思ったので書いた記事。