僕は兼ねてより、それこそ高校時代の頃より
高校デビューというものを大いに支持する。
誰しもが可能性を模索している
いわば旅の途中。道半ば
それはきっと死ぬ寸前に至るまで続く模索。
人の人生に責任を負える人なんてのは、親をもってしても言えたことではない。
親は先に逝くし、40,50、否100歳を迎えたとしても
全てを知るには至らないだろうと思う。
そういう話から「高校デビュー」の高校、というのは飽くまで慣用句的な要素であり
老後デビューもまた含まれる。
事実としてままあること
先人たちの選択肢、もとい行動パターンとしてままあることは、
オン歳68になったと噂のウチの親父や、世間のニュースや歴史からも学べることだ。
いつになっても、気づき→行動、と起こせる人は強い。というか、この”人生”というコンテンツに於いて一歩先行く権利を得ていると言って過言なし。
アマオトの大谷大などはまさにそうで、新しいものに飛びつく精神は誰よりもあると思うから、いつでも気づき→行動がスムーズに思う。
そこいくと僕などは頑固であるし、村井学は古風な男である。盛滋やぱぴさんはおとぼけキャラクターな割りに柔軟な気もするが、主体性があるかというとそういうわけではない。
周りの目、というのはこのとき価値に換算できない。価値がないと言っていい
だっていつだって僕らが欲するのは自分の喜びであるのだから、それが目の前にぶら下がっていることを知りながら
見て見ぬ振りするというのは修行か何かなのか?ということなのだ。
踏まえてもデビューはオススメ
この場合のデビュー、というのは革命に当たると思うのだ。
どんな浅はかな目論見の元に動くものだとしても、その行為、好奇心には必ず算段がある。
少なくとも今の自分よりも、人生を楽しむべくの可能性を感じている確信のようなものが芽生えている。
それを目の当たりにしながらも、行動に起こすことは勇気が要るのだけれど
多くの人はそれを揶揄するだけの脇役に止まってしまうのだが、それは本当に残念なことだと思う。
人生一度きり
これは本当に在り来たりな表現ではあるけれど、もうこう言うしかないのだ。というかこれに尽きるのだ
漫画やアニメ、小説やゲームと鑑賞される方には通じるかと思うのだが
憧れるようなキャラクター、人生は幾つもあるのに、”自分の”人生はたった1つ。それは曲げようもない事実であるが
何もそうであることを「強制、または矯正するようなチカラ」が実際にはどこにも働いていない
社会に出たあとは、みんな外野から揶揄はするものの、決してその観客席からはみ出ては来ない
自分の人生優先で生きていれば、さすがにそんな暇はないのだ。ならば
自分の闘うべき場所に邪魔者はいない。あらわれようも無い。限界知らずの自由がそこにはある。
演技でも何でもいいじゃ無いか
ドラマ、なんていうのは人間の変身願望を満たすもの
理想的、または最悪のパターンを疑似体験させるもの。それがお茶の間、最も人間の柔らかな時間に流れていることから
人間がいかにそれを胸のど真ん中で楽しんでいるのかがわかる。
演じたい、巻き込まれたい、楽しみたい。それが根本にありながら、幼き頃より導かれてきた心には半端な、継ぎ接ぎだらけの当たり前が備わっている。
大人がご都合でその都度考えながらあちこちから伝えたようなものだ。それをそのまま受け取っていたら矛盾して、パンクする
大人になれば、その側に立つことも増えそれに気づくこともあるが、当時の自分のような子供たちにはそれが不条理に思えてしまうのは仕方ないかなと思う。
しかしその先には、同じような思想、同じような行動をするものたちが集うことが出来る。
宗教だったり音楽だったり仕事だったり。そういう選択をとれることで、ストレスフリーな世界を夢に見る、飽くまで夢だ。と言っておく。
勇気を持って
学生時代の3年間というのはとてもデリケートな時間だと思う。それは経て何年経とうとも間違いないものだと感じる。
そしてその生活空間、形態、ある種拘束された世界の中に身を置く以上、一歩間違えば逃げ場の無い針の筵になることも、まぁ想像できる
替えの利かない同僚たち、モブ、可能性。そう感じる、と思うが
そんなことは無い。人間は変わり続ける。自分は勿論、周りもそうだ
変わることを選べるかどうか、それはこちらの手の中、ほんと僅かな後押しでそれは行われ、そのあとは滑るように自動的。
時間の流れと同じ。勝手になるようになる。
そして周りを変える必要もない。そもそも変わりたいのは自分自身であるし、変わってみて違ったのなら辞めたらいい。
明確に、今ある自分に飽き飽きしているにも関わらず、穏便に生きていってしまえばそれは必ずストレスになる
なんせもう気づいてしまっているのだから。自分がやりたいこと、なりたい自分、それに気づいてしまっているのに
まだ”そのキャラクターを演じている”のは、馬鹿馬鹿しいと思わないだろうか。
本当の自分、とかそんな話をするつもりはない。どれも本当だ。
ただ人生という時間は自動的。ただただ流れた先には海なんかない、あるのは奈落、真っ暗闇だ。
ならば今しかない。やるなら今。そういう話だ。
自分を信じろ、当然、それが自信になる。