行動には至らないのがドラ息子たるところ。
そこは綺麗事なしに行きます。
両親に旅行の1つでも
プレゼントしたいなぁと
ふとしたときに思うようになりました。
当たり前ですか?僕という人間には、まだまだ新鮮な感覚なんです。
とはいえ、件の2人(両親)はとても一般的な常識を重んじている時代の人で
僕はそれに疑問ばかりを投げかけていた子供でした。
このブログの開設を親父の誕生日、4/7にしたのは、
何もしてやれていないせめてもの償いのような気持ちかも知れません。
急がないとおっちんじまうような歳に両親がなってきまして
いよいよ真に迫ってきたのか
悔しいくらい当たり前な人間の習慣に憧れはじめています。
生まれてきたことを悔やんでばかりのロクデナシにも、
そんな気持ちが勝手に宿るようになるから不思議です。
バンドやめて働け
そんなことを実際にも言ってくれた親父や
やりたい事をやるべきだと支えてくれた母。
よくある家族のようでもあり、中々ない家族のようです。
憎くて仕方ないような日々もあった
多分、本当に俺ら(男3人兄弟です)どころではないんだろうなぁという時期も
2人にだってあったと感じていた。
でも、今がある。
今となっては僕にとってはどうにも、替えは利かない人たちです。
こないだのラジオ
一番楽しんでくれたのは2人だったように思います。
興味なさそうにしていたのに、
親父は前日からアセアセと何とかして録音して保管しようと
家ん中を行ったり来たりして配線やらを準備していました。
MDだなんだを経由して、録音してくれたそうです。
そうして、いま僕の手元にはCDとしてラジオの音源があります。
自分が喋る声を聞いたってそりゃ、
感動もクソもないわけです。
僕にとっては正直、何でもない
それでも、何の結果も出せてないドラ息子のために
これだけ反応してみせてくれる。
有り得難いし、親バカで過大評価ですけど
不甲斐なく思います。
でもお陰で、自分には「何でもない」ことが
価値をもって跳ね返ってくるのはこれは、つくづく表現者をやってる奴の役得な気がしています。
数も打つし、常に先手ですから、家ではとても無口な俺には丁度いいです。
声に出して伝える
いま実際にしてあげられることは少ないんですが、
感謝や誠意は、言葉や態度にして伝えたいなと思ってます。
あの
旅行なんてね。死ぬ気で手段を選ばず働いたら、一ヶ月程度で届くものだと思うんですよ。
それは重々承知なんです。
自分を切り売りしたお金(対価)だけでってのが、僕の希望なんですよね
誰かの裾を分けてもらうとか、借金とかじゃなくて
あんたらの息子の存在が、脳みそが、体が、それを生み出したんだぜってものを
手渡したい。
そうです、自己満足なんですよ。あの人たちの為ってんなら、こんな遠回りはしなかったですよ
自分の為です。生きてきた事を正しいとする為の
これはロマンでしょうかね。意地でしょうかね
きっと自己満足
ねだられたわけではないですから。
こういう事を言うと他所の人には言われることなので先回りしますが
音楽ででっかくなりたいってのはこれっぽっちもないんですよ
いい音楽はやっていたいですけど
それとアレは反比例すると感じています。
ドラ息子なりに、自慢の息子、
自慢話の1つにでもなれたら本望ではありますが、
自分でも、「いいだろ」と胸を張れるいいものでありたいんです。
物体としても、精神としても、センスとしても
少なくとも自分が思ってもないものであったら、
それは違うじゃないですか。
胸を張れないじゃないですか。
いいものに
なりたいんです。