前回からの続きです。
惰眠を貪り、ピザを食べ実に理想的な自堕落を過ごしたあと、打って変わって背筋の伸びるオーケストラ観賞へ。
写真がブレブレなのは僕のクソケータイのせいです。
縁もゆかりもない
演者さんには全くもってゆかりがない公演に遊びに行きました。
個人的にはこのパターンは人生で二度目。いつか仙台に弾丸一人旅(誕生日に花火を観ようと思ったら仙台でやってた)に行ったとき、
止めた駐車場が大学内キャンパスで(よくない)。その駐車場が多目的ホールの駐車場だったのもあり、その日行われていた学生さんのオーケストラを観賞させてもらったんですよね。
今回よりも尚の事行き当たりばったりといった感じですが、これがとーっても有意義だったんです。
学生さんのイベントということもあり、格安のチケ代1000円とかで、ぶっちゃけ僕のようなクラシックの耳のない人間には良し悪しなんてわかりません。
つまり、もうそれは簡単に最高潮の最高レベルの品質なわけで。
実に優雅な気持ちを頂いたんです。学食も頂きましたし←
その記憶の再現というようなところもありましたね。
日常にある
“こういうクラシック公演”て、結構街のあちこちで頻繁に行われていて、
尚且つ安価。さっきも言ったようによほど耳を鍛えた人でなければ良し悪しなどわからないと思うので
もし興味が湧いたのなら一度行ってみて欲しい。
ただ惰眠を貪り尽くしたはずの僕らですら眠たくなるほどの心地よさなので、例えば眠ったとしてもイビキなどかかないようには気をつけましょう笑。
一段とマナーには厳しい印象。
ライブハウスでの公演を観てきた機会が、一般の方よりは多いと思う自分なので
「音楽」というカテゴライズの中では同じものの興業の在り方がこうも違うのか、というのは刺激的で新鮮。
椅子席であったり、背筋を伸ばすようであるし、知らぬ通例、礼儀もあるのだと拝見する。
その割に、テレビ番組などで知らず知らず覚えさせられてきたクラシック音楽は幾つかあるもので、
それがいざ生音で流れてきたときの感動は、わかり易くぶっ飛ばされる。超イイです。
今はバンギャでも学生の頃にはそちらにこそ傾倒していた(ピアノを習っていただとか吹奏楽出身だとかの)方もいらっしゃると思うので僕みたいなニワカ者が進言するのも烏滸がましいのですが
感覚としては野菜を食べるような必要性。
ライブハウスが肉なら、クラシックは野菜。これは定期的に摂取すべきではないだろうか、と感じたわけです。
退屈な瞬間は多い
今ならば、コンピューターミュージックの発展、文化の発展により音楽家もゆとりのある創作ができる。
そんなところからだろうが、クラシックには「ここ要る?」みたいな箇所が多くあるようにいつも思う。(生意気いってすみません)。
僕みたいな半端者が評価できるような安い音楽だとか思ってるわけではないです。
ただ、昔の音楽家達こそ困窮し、血を吐くように紡いでいただろうと思うからこそ、頭が回りきらず、現代ならば切り捨てたような、シェイプアップ”し切れなかった”ような箇所は多いのではないかと感じる。
でも、それがいいんですけど。
拍子なんかも複雑で、楽器の種類も多様。人間の脳みその許容量を超越し、圧倒してくるようなメロディの応酬こそがクラシックの荘厳さを描くのだろうから
僕がいう「ここ要る?」みたいな箇所に感じる蛇足感みたいなものもまた、意図したもののようにも思う。振り回される。
いい意味で聴き手に媚びすぎていないし、キャッチーな箇所は現代音楽に比べると小出し。
言ってしまえばそれを食べやすく食べやすくしたものが現代音楽の姿なのだろうし、故の安さ、コンビニ飯感なのだろうと思う。
そんなことをフムフムしながらわかった顔して聴くわけだけど、随所に「ぁあーー!素敵ぃーー!」と発狂しかねないフレーズや楽器のユニゾン、ハーモニーがあってそれどころでもないし、声も出せない(雰囲気ですよね)歯痒さはあった。
そこには改めて、現代音楽観賞の仕方、ライブハウスのワーワーした感じの利点も見出したりしていました。
目新しい音
日本語としてはなんか妙ですが、目新しい音、まぁ「聴き慣れない音」と表現するが簡潔ですけど
一つ一つの楽器の存在は知っていたけど「それとそれを組み合わせるとそんなに効果的なんだ!!」みたいな発見がもう次から次へと提示されるからパンクしそうだった。故に眠気も凄かった
トライアングルとかハープとかの効果的なユニゾンや、
バイオリンのピッツィカートとか。なんて心地よいのかって改めて思わされるし、僕には高尚で馴染みが浅く魅力的。
ティンパニーの底から地鳴りのようにジワジワと持ち上げてくるような表現は感情や、自然や超常現象なんかの荘厳さなんかを現すに適切だなぁと感じるし、ロックバンド編成ではちょっと出来ない芸当な気もして悔しかった。
隣に座っていた彼女が吹奏楽出身なので、オーボエとかバスーンとかの音に恍惚を得るたび「アレはなんなの!?アレはなんなのーーー!?」と聞きたくなるもそんなザワザワしちゃいけないいのがクラシック観賞現場の雰囲気。アー!じれったい。
こういうのにいずれ耐えられなくなって「やっぱライブハウス最高だな」ってなるのかなって思ったりもしながら、それでもやっぱりいいものは良かった。
フィガロの結婚
序曲の部分。公演の冒頭に演奏された、コチラはとても馴染み深い曲で、どこで聴いた、とかいう固まった印象もないがアチコチで使われている曲だった。キャッチー。
キャッチー故に現代にも遺っている、というのは現代音楽の在り方と同じことなんだろう。安く云うならば売れ線。気になった方は検索してみて。多分聴いたことあります。
タイトルの通りの、ちゃんとストーリがあるのが「プログラム」に書いてあって尚の事面白く聴けた。
フィガロという奴が、雇い主に自分のフィアンセを誘惑されそうになり、孤軍奮闘コミカルにそうはさせまいと駆けずり回るような一日のイメージだそうだ。なんて日だ。
第一楽章だとか第二楽章だとかにもそれぞれテーマがあったようだけど、そこらへんに「ああここはこんな感じか」などと当てはめていこうとしたらキリがなくて頭が痛くなった。
とはいえ「プログラム」という様式は、ライブハウスに持ち込まれてもいいよなぁとは今更ながら感じた。
セットリストが予めわかっていることには、ことアマオトというバンドに関していうなら問題はないし、
曲目に込められたものの説明などが見れるのは単純に面白いと感じた次第。
視線を上下しているのは少々もったいなかったり気が引ける気もするが、ことクラシック音楽に関しては演者が客席へ視線を落とすことは余りない(指揮者や譜面に釘付け)し、
客も演者と面する意識は少なく、前を向こうという感覚も希薄かも知れない。ライブハウスとの対比が止まらなかった。
と、言う感じで
終始、自己の栄養にしようと脳みそがグルグルしていたので、ケータイを出すわけに行かず
パンフレットに書き殴っていたキーワード達がこちら。
ピッツァ(パリ)と書いてますが、ピッツァはイタリア発祥ですね。可愛いですね。
これだけ書いても、以前消化不良な感は残るけれど、僕がだいぶ感銘を受けてきた様子は伝わったのではないかと思っています。
因みにこの日のチケ代は2000円。観終わってみても、安い買い物だったと感じます。
クラシックの畑の人との繋がりは殆どないけれど、ライブハウスの畑との折衷を果たすことで何かが起きそうな期待があります。
ワーワー騒げるようなクラシック公演。
プログラムのあるライブハウス公演。
これだけでも少し新鮮になる気がしてます。
僕のように造詣のない方々も是非、クラシック音楽に触れてみて下さい、というような記事にしたつもりですがどうでしょうか。
椅子席でしたし、なんならちょっと寝ましたし←いい休日になりました。頭はフル稼働でしたけど笑。
皆さんもいい休日を。読んで下さり有り難うございました。