ステージに立つようなことをしてるので
バンドマン的な姿を連想されそうですが
僕はいまのとこバイトばっかの人生でしたから
仕事を懸命にする人、の輝く姿ってものを
多く拝見してきました。
本人は気づいていない
だからこそなのかも知れませんが、
その横でただ時間が過ぎゆくのを待つに徹する人が居たりなんかすると
その影を輪郭線にして、
その人たちはキラキラと輝いていました。
より効率的に仕事が回るように努めていたり、
皆が快適に過ごせるように試行錯誤したり、
そうして何より消費する側への配慮に、真心が込められている。
スポットライト
バンドマンなんかは実際に浴びていたりしますが
これはいわば体を張った比喩のようなものだと思います。
飲食店ならば、メディアに取り上げられたりして
脚光を浴びたりしますが、
それで本質が変わるわけではないのはバンドマンも同じ。
そこに真実がなければ、繁栄、とは行かない
生きる為のついで
そんな風に働くことは、僕も未だによくあります。
でも人間なんて結局人生の8割がた働いていますから
いい加減、意地を張らず楽しむ工夫・努力をするべきなんだと思っています。
飽くまで食う為にするというのはそうなんですよ
でもそれ以外にも得るものは沢山ありますよね。
認めたくないような気持ちがジワリわくことも多いんですけど、
やっぱり認めざるを得ない。
“ついで”というには余りにも
趣味が出来た。友達になれた。恋をした。自信がついた。
喋ることが得意になったり、人が好きになったり
親切をされたり、したり出来るようになる。
人の役に立つってのはとても心を救うなぁと僕は思うし
それが幻想だとしても、バンドマンなんかをやっていると
そういう形に残らないものに大きく影響を受けます。
(形に残るものが手に入らないという説もあります笑)
嫌なものだ、という刷り込み
これはあると思うんですよね。
辛い思いをして当然、嫌がらせを受けて当然
そんな考えが金を支払う側に立っても残っているから、悪い連鎖が起きて
「そうでなきゃ報酬は得られないものだ」という刷り込みが横行しているんだと思う。
でもタイトルにある輝ける人ってのはこれが無いように思うんですよね。
損得足し引きのベクトルに立たず、ただその仕事の向上を目指していて
それを煙たがる人がいたりもするんですけど、きっと乗っかってしまった方がいい。
より良いサービス、成果を出せたなら自然と報酬が上がるわけじゃないですか。
末端の、僕がやってるようなアルバイトでは難しいんですけど、
それに気づいた人は、きっとその末端には留まらないんですよね。
人任せ、人のせいにはしない
仕事=うんざりではなく
仕事=役目、すなわち自分自身であるようなものだと思うんです。
うんざりな会社ってことはうんざりな自分だってことだと思うんですよ。それはバンドもそうで
悔しいなら更新するか、それが無理と確信したなら新たな場所を目指すべきだと思います。
悔しいじゃないですかそんなの。
言いなりになるでなく、自分主導
バンド活動とはそうでなきゃいけないなと、最近ようやく思うわけですが、
アルバイトやなんやも雑にやっていればクビを切られたり、余りに輝いていれば正規雇用されたりもするじゃないですか
夢中になって「より良く、より良く」を求める瞬間は、バンド活動ではとてもあって
メンバーに無理を求めてしまうことも多いです。
成果が出ないのは本当に苦しいものですけど、
それでも向上するあて(伸び代)があるっていうのは有難いことですからね。
これがいわゆる意識高い系、みたいなもので終わればそれまでなんですけど
成果がほんとについてくるならきっと価値があるって証明だとも思うんでね
スポットライトに頼らずとも
身の内から輝けるような人に
僕もいつかはなりたいと思います。