僕は男三兄弟の末っ子、
昨日は婆ちゃんの葬式以来に家族が揃いました。何年ぶりだろか。
場所は山梨県
僕は物心ついてからはずっと東京で育ったんですが、年小さんの頃までは親父の仕事の関係で山梨県は富士吉田に住んでました。
兄貴二人とは3つずつ離れておるので、アマオトでもあるセイジは小1、長男は小4のときに引っ越しました(元々持ち家は東京にあった)。
僕は幼かったので、懐かしい!と思うような記憶も余りないのですが
不思議なもので、さんざんその当時聞いていたようなワード「富士吉田」「富士急ハイランド」「富士サファリパーク」「デイリーヤマザキ」には
どこか親近感があります。
2days
本当は「26日から泊まり込みで行こうぜ」と誘われていたんですが、
僕は現在借金に塗れているのもあって←遊び過ぎると不安になります。(その割に今月は遊びすぎ)
なのでガンガン仕事をぶっこんでいたら26も埋めてしまったので断念しようと思っていました。
しかし、27は彼女と休みが合い、尚且つ親父から「後生じゃ」と言わんばかりの来い来いがあったので
まぁこんな機会確かになかなかないかもなーと、
26の仕事終わりに実家まで行って後追いで行くことにしました。
行ってよかった
行ってよかったです。
僕が天邪鬼なのはご存知の方はご存知かと思うのですが、
危機回避能力にしても少しやりすぎなネガティブ機関が、日々過敏に反応してしまうので
またもや「行きたくない」気持ちがじわじわと沸いていたのですが、行ってよかった。間違いなく行ってよかったです。
こんな僕だからこそ、理由をつけてでも家族旅行に参加しておかないと
ほんとに機会を失ってしまう気がします。
彼女を面通ししたい気持ちもあったし、長男のこないだ生まれた甥っ子にも俺だけ会いに行ってなかったから会えてよかった。
高校の頃には生まれてた甥っ子たちにも久々に会ったらめちゃめちゃでかくなってた。
中高生はみるみる顔付きが変わるんだなぁ。
観光
小さいときに来たことがあったらしいが全く覚えていない「忍野八海」
ほうとう屋さん「小作」
来たつもりになっていたが行ったことがなかった「鳴沢氷穴」にみんなで行きました。
忍野八海
行きの車で眠気に殺されそうになっているぐらい、疲労困憊の中行ったので、
せいぜい写真ぐらい撮れたらいいだろうと思っていたんですが、合流して一発目の忍野八海がなかなかに素敵で、元気をもらいまして。
写真では全く伝わらないが全長八メートルの池。
日頃、いかに汚い水を目撃して生きてきたかで感想が大きく変わるんでしょうけど、
とにかく水が透き通っていて、何なら美しいとすら形容したい色味、反射をしていて
宝石が水のように溶けたらこんな感じかーという陳腐な表現しか思いつきませんが、また晴れた日にいってみたい。
健やかに育ち過ぎた化物みたいな鯉がたくさん居ました。
買い食いした草餅。僕はよもぎの香りが好き。アンコは嫌い。という人間なので
いわば混沌の象徴のような彼。
ほうとうは大量
もし山梨へ行きたくなった方々いるならば忠告しておくと、
ほうとうは相当にボリューミー。観光地的な値段設定なのかなと思いきや値段相応な量が出てきます。
何より旨い。油断せず是非食べましょう。わらびの風味がたまらんかった。
鳴沢氷穴
近くに「風穴」もあるんですが、読みはふうけつ、です。彼女がずっと「かざあなぁ」って言ってたのでライムバトル的には「ばかだなぁ」で返したいところでした。犬夜叉のせい。
風穴は前に地元の奴らと行ったことがあります。そのとき氷穴(ひょうけつ)も行ったつもりでいたんですが、行ってなかったみたい。
氷穴はほんとダンジョンでした。異次元。地上からわずか数センチ踏み入れたその先が嘘みたいな気温をしています。肌を撫でるような冷気。
「え!?夏だよね!?」と言いたくなるような奇跡に30歳でも童心に還りました。最下層で零度だそうです。
入穴の際にはこんなヘルメットの着用が義務付けられます(大人は)。
ほんとに急な勾配、階段を行くのでお児を抱えての入穴は駄目でした。というか無理ですアレは。
滑るし、最低91cmの導線を屈んで抜けていくところもあるので、冒険です。探検です。
サンダルはまだしも、ヒールでは先ず無理なので長靴の貸出に応じてください。
外との奇跡的な温度差を僕の語彙力では伝えることが適わないなぁと考えていたのですが、
運転の流れでしたままだった眼鏡がこれまた奇跡を起こしました。
一度は行ってみて体感してほしいですね。
凡庸だけど
こういう絵面ってのは、特に真新しいものではないけれど、実際バラバラに別々に暮らす家族が一同に介するのは難しい。
かといって神経質に仰々しく行うのも違う。
付き合いの悪い僕自身、自覚もあるので、彼女がこのタイミングでできてよかった。
ただでさえ自己嫌悪のなかに生きていた僕なので、長男家族の、何より子どもたちにそんな人間を見せたくはなかったし、
彼らを気にかける余裕のある自分で向いたかったから、そういう自分になれる暮らしを共にしてくれている彼女には感謝だし
そういう自分に理解を示してくれていた家族にも感謝。
アイキャッチの写真は三十年前。三十年経って僕らはここに居ますけれど、それは当たり前ではないし
甥っ子姪っ子の彼らにも、これから耐え難い日々が訪れるかも知れない。
そんな日々を超えて、また笑って会えることを心から願うし
僕自身そうあらねばと思います。
読んで頂いて有り難うございます。