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灯台モトクラシー

森 壯太 2017/05/01
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一歩先、明後日のところには、優しくできるのに、いかんせん真隣の、誰かには強がったり意地悪をしてしまう。

ほんとはそんな顔してほしくはないのに。

灯台の根っこは暗い

灯台下暗し。

よそ行きの顔、というものがあるが

人間はまるで灯台のようなところがあるなぁと、自戒も含めて感じる次第。

昔っから僕は、身内ならば身内ほどに口も悪くなるし当たりも強くなる。

更に近くなれば言葉すら発しなくもなるから、僕というのはきっと結婚には向いていないなと思うけれど

「もう無理」「元気でない」そんなことを心の底から思っているときなんかにも

ふと身内以外の人や久しぶりの相手になんか会うと、底力のようなものが湧き上がってきて軽快に振舞ってみせる

なんなら相手を気遣い思い遣るような言葉や態度が表面化してきたりして、

「なんだコイツ甘ったれていただけかよ」と自分にまたガッカリするようなことがあるが、

でも多分これは、人が灯台たらしめることをいっていると思うのだ。

そりゃあ星とかそんなのとは違う

「この光はもう何万年も前の光なんだよー」とかって理屈にもならないけれど、

何というか、別腹のような、未知なる源泉から噴き出すような感覚がある

へそくりとも言えるな

「え?何でこんなとこに千円札が?ラッキー」というような気分になる。

不思議なもので、今こうしてブログを書いていてもそんなような効果があるらしく、

さっきまで「今後、何を楽しみに生きていけばいいだろう…」と、朝の通勤電車の中で記憶を巡らせて、今ある日々が続くことに結構ガチなテンションで思い悩んでいたし、

「毎日ブログ書くのこれ結構キツイ。キツイよう…」とか思ってたんだけど

このブログの存在を探り当ててくれるような奇特な、僕にしてみれば僕の世話人の皆様の、少〜しでも暇潰しになれば嬉しいし、

僕も救われる、そんな風に思うと意識がハッキリとしてきた。

洞窟の中を押し進むときのような

明日のことは誰にもわからない。

ヘルメットの上に取り付けたライトの光で、手探りまさぐり洞窟の中を進んでいく。

反射した光も近過ぎればただの目潰し、適度な距離感は必要で

「もしかしたら不意に誰かの足元を照らすかも知れないじゃないか」というのは永くバンドマンをやってきた人間が克己するスローガンのようなものだけれど

こんなのっそり生きてはいても、きっと1つ先、気心の知れない仲だからこそに素直に対話できるような関係の人を

励ます何かを誰しも持てると感じている。

具体的に言っていくとするならば

接客業の人たちなんかは大チャンス。

接客、という名前に反して、実際は腫れ物を触るように、ある意味では大切に接するのが日本の基本だとして話すけれども、

金銭のやりとりの範囲内を超えて、ふと親切が渡されたときの最高な気分というものを感じたことのある人はいるだろうか

過剰なサービス、というよりは人間の温もりといった感覚が肌を超えて心に届くようなアレだ。

お釣りを手渡すときの声色や笑顔や、やりとりの中での小粋な冗談や世間話

サービスの枠内を超えた人間同士の対話。

不意の、しかしよく考えてみれば普通程度のそれがとっても心を潤してくれることがないか、

僕はある。

でたらめでも闇雲でも

「明後日の人」という役目がある。

何でもない誰かも知れないような人の言葉、ツイッターに流れてくる”如何にも偉人ぽい人の名言”とか、不意に聞いたラジオだとか

そういうものがふと優しかったり厳しかったり、温かかったり響いたりというようなものは

隣の隣、それぐらいの関係性だからこそなし得ること。

その人間がどんな人間である、というような勘繰りも認識もなく話を聞ける、というのは

まぁ言うなれば学校という施設の在り方でもあるし、TVもそうかも知れない

烏滸がましいようだが、きっとライブハウスもそれに当たると思うのだ。

故に、反面スキャンダルなんかには敏感で、素行不良で台無しにもなる。

そうなれば敢えて、知り過ぎないというテクニックを使っている人も、最早いるように思う。

省みるに

「ならば、恥ずかしがらず、近場の皆々を照らそう」と、そういうことでもないのだとも思う。

「照れる」という言葉もあるくらいだから、眩しいのはたまにで良くて

スマートフォンの光量過多に日々が眼精疲労著しい僕らの今と同様に、きっとそれでは喧しい。けたたましい。

身近な人間にはつや消しの、やや退屈なくらいの、穏やかな人間性であって欲しいと思う。

そう毎日のようにくどくどと高尚な話をされても、その通りくどいから

なるようになって今がある。誰かの”明後日の人”、その役目が誰しもに担われる可能性があることを

この記事では伝播しておきたい。

きっとそれは偽善で充分なんだと思います。

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