満員電車の中、独身を思うのは
妻帯者と独身と、その違いを感じたから。
僕は独身だ
そうか独身だ。三十路を過ぎたのだから
彼女がいない、とかの話よりも、妻がいない、という印象があるのかなぁと
満員電車の中でひとり思う。
僕は昔っから恋愛話は大好きではあったけど、
結婚というものがイマイチリアリティがなくて、憧れもなければ合理性も感じてこなかった。
流れ者同士がその場凌ぎに、というと語弊があるかも知れないが
そうして綱渡りしていけるならそれも面白いかなぁとすら思っていた。(とはいえ本人はそこまで器用にはやれていない)
その半分で
しかし考えれば考えるほどに、1つの愛情を育てることの難しさ
費やすべき時間の量を鑑みるにその綱渡りでは足らぬ。真理に達するには命1つ張らねば知れたものではないなと
そう気づいている自分もいて
だから結婚するのかと、生物の繁殖行動の根本に立ち戻るような感覚があった。
そして満員電車の中で思うのは、現代の人間ならではの合理性。
実に具体的な話
これは男性女性限らず”清潔感”が保たれていると感じる。
衣類に小動物の毛がついているか、匂いはどうか、汚れは、背広のサイズ感が合っているかどうか
そういうものに敏感なのは何も女性に限らない、伴侶の身なりや振る舞いひとつとっても、最早唯一無二のパートナーとあれば気にもなる。
そうなれば、幸か不幸か隙がなくなる、という僕なりの解釈、印象なのだけれど、当人たちの実感としてはどうなんだろう。
これは具体的に、個体差なく第3第4の目が常に自分を見てくれているというところが大きい。
世間体を気にするタイプの人間ならば、結婚というものを避けて考えられる人はそういないと思うのだけど
そういう方が、結婚にいざ辿り着いた人ならば、変わらずそこら辺は”家族共々巻き込んで”保っていこうとするのではないかと考える
が、
まぁそれも愛想が尽きてしまうなり、精魂尽き果ててしまったとすれば、その限りではない。
相手への愛情かどうかは言い切れないような不満を吐き出すというのは、どんな人であれ体力がいる
その労力は、決して易いものではないとは思うのだが
それこそしっかりとした信頼関係を築けていればこそ、スムーズに運ぶ事もあるのかもしれないなと、
未熟な僕からの期待、否、夢でもある。
そんな私は独身なわけだが
きっと僕はこのまま独り身であろうと思うので←
ならばこうしてまだ俯瞰して他人事のように振舞っているうちに気付いたような
独身の背負うリスクのようなものは知っておいて損はない。
以前、彼女さんと2人暮しをしていたときに色々注意されたようなところが
きっと僕には足りないのだと思うし、世の女性や人間様の癪に障っていくのだと仮定すれば
先ずはやはり清潔感、身嗜み。目に見えないような部分は更に気を配らなければ気付けなくもなる。
これは多分、伴侶に頼らないでも、友人同士、言い合えるような関係を築ければまかなえるような気もしているので
同じ独身の皆さんは互いに助け合っていきたいですね。という希望的観測
いい洗濯洗剤や柔軟剤、シャンプー、出来れば香水なんかはつけたくないので、そこら辺を情報共有していきましょう←
ああ、
げに恐ろしい。