しばしば思い出す
恐らくは小学校低学年の頃の話。
子供祭りという催しがあった
いわゆる文化祭のようなものだったと思う。
金銭のやりとりはないながらも、入場時に配られるチケットなんかを使って、生徒たち出店の各所が機能するような奴。
そのとき授業の中で、祭りで販売する用にタオルで作った犬のぬいぐるみ(のようなもの)を、みんなで予め用意したのだけれど
この頃から既に授業などは片手間だったものだから
クレヨンか何かで絵を描いていたため、手をカラフルにしながら、半身で授業を受けていた。
学級閉鎖
学級閉鎖というワードがよくよく聞こえてきた時代ではないだろうかね。
当時ワイドショーで事案の幾つか観た時に「こんな程度で閉鎖しちゃうんだね」とせせら笑っていた気がするし
そこまで悪質なつもりはなく、先生たちと戯れているような感覚はあったけど、そこの相違があるなら大人は大袈裟に考えてしまうのかも知れないなと今は思う。
じゃなくて、
その犬のぬいぐるみのようなものを、僕は片手間ながら仕上げたんだけれど
そいつが予期せぬ反響を呼んだのだ。
カラフル犬、大人気
何故だかクラスメイトの女子の数人がこぞって「何それ!可愛い!私が欲しい!」というような反応をしてきた
手に付いた青赤黄色のクレヨンが、タオル地のワンコをアグレッシブに色彩付けていたわけだけど
その様がどうにも刺さったらしく「私予約ね!」「私!」と言ったような事態を生んだ。(最終的に僕は店頭に居なかったので誰が連れて行ったのか定かではないが、しまっていたはずのとこには居なくなっていた。)
その反響には未だに「?」が消えないけれど、バンドマンを演っていても似たようなことは多くあった
コストパフォーマンスでいえばこんなに理想的なこともない。
ノリ気でなかったものが評価される
これはいわゆるラッキーパンチ。
しかし、自分の感覚と世間がズレているというのは中々に怖いものでもある。
つまりはコントロールが利かないわけであるし、二手を誤る可能性は非常に高い。
相手方が欲しがっているツボのようなところを的確に撫でるなり押してやらなければ、次も上手くいくとは限らない。
なので市場の分析が要る。何故ウケたのか、という市場調査。
これをひとまず自分の感覚に落とし込むことで、より喜ばれるようなところがわかっていくはず。
こんなことをいうと、若かりし自分などはきっと「自分がないなぁ」などと皮肉を言ったもんだと思う。
自分が欲しいものは何か
栄光や名誉などは要らないタチではあるが、もはや自分の探究心のみで動いていられるほど純粋でもない。
創作活動をするにあたり、結局最後に自分という人間が受け取りたいのは相手方の評価だろうとは思う。
それが次への活動意欲に繋がるし、見当違いの方へ全力投球をして、誰とキャッチボールをすることも叶わず肩を痛めていては、やるせない。
それが選手生命を奪うこともあるだろう。
勿論、さきの若かりし自分が予見するようなとこでいえば
それが「やりたいことでない」のなら続きはしないだろうと思うから、そこの擦り合わせは不可欠ではある。
20数年の時間が経てど、世間と自分との感覚はまだまだズレたままと感じるが、
こないだ出したアマオトの5th Singleは、その世間様のツボと、自分のツボが恐らく重なったんじゃないか、という自信がある。
どこまでも自信留まりであるから、あとは評価を待っている段階なのだけれど
是非聴いて欲しいと思っています。こんなの初めてなんですよね。是非。
(*現状、会場限定販売です。)