意地を張るというのは
息を止めることに似ている。
ここぞというとき
意地を張ることを要する瞬間というのは、
得てして意思とは裏腹なチカラ、誘惑に根負けしそうな場面。そんなときにグッと粘るようなときだ。
こぼれ落ちそうな精神の淵、そこを誤れば天から地に落ちるかのようなその一時を凌ぐための行為
そういうものだと思う。
僕はそれが「息を止める」ということに似ているなと感じる。
息を止め”過ぎる”ことが叶うなら
それは気絶か、最悪の場合は死に至る。
けど人間は首に縄でもかけない限り精神のみでそれが出来る生き物にはないだろう。
筋肉を強張る時にも、一般的には息を止める人が多いかと思う(プロフェッショナルは違うらしいと聞いたことがある)。
意地を張り続けることもまた同じで
場面を弁えず、意地を強張り続けることは自らを追い詰めることに繋がると感じる。
どういうことなのか
その説明、実感に言葉は足りない気もする。
是非、読み手のあなたが「意地を張っているな」そう感じたときに省みてほしい。
つまらない意地に、息を詰まらせて
徐々に息苦しくなっている自分と、その必要性が薄れている時間に気付くはずだ。
気付けたなら深呼吸。脳に酸素を送りましょう。
冷静さを欠いていた昨日はの判断は忘れて、今一度自分と向き合ってみてはどうだろうか。