こないだ「希望」っていうのは実体がないって話を、
どっかでしたんだけど
上手く伝えられた気がしてなくて消化不良。
改めて書く。
それはそれにてことをなす
実体がないまま、そのままで役目をはたしているのがミソ。
「夢」とかっていうのもそうだし、「恋」もきっと同じ。
そのプロセス段階にこそじゅわりと甘みが感じられる。
気付いたら、そういうものの考え方を、結構大事な部分でとらえながら生きているのが
人間というものな気もしている。
有限なる資源という次元の提言
韻を踏んでみた。
先ほどのものは言ってしまえば“妄想”という奴だ。
あまり良い印象のない言葉だと感じるが、これを普段誰しもが糧にして生きているような…
夢を喰らって生きるバク、霞を吸って生きる仙人。
それを想像、妄想したのが、人間。
ヒントはきっと、実生活から出たんだろう。
現実という次元には、必ずしも限界という次元が天井にある。
人もいつか死ぬ。
しかし人間はそれすら曖昧にして、死者にも会えるという話を半分くらいに残しながら生き抜く。
逞しいものだと思う。頭が回りすぎて、ある程度のことは予測がつく生き物だからこその
二週目の答えだろうなと思う。
失敗の多い人生
だからこそこんなことを言い切りたくもなるのだろうけれど
目的に、辿り着く必要性は殆どない。
そこに向かうまでの無制限なワクワクが堪らないのだ。
ロールプレイングゲームをやっていて、物心がつく頃に感じ始めた「終わらないで欲しい」という願い
最強になったあとの虚無感。これはあながち間違いではないのだと思う。
ロールプレイング=疑似体験というところで、見事な推理小説で、以前に堂々とした伏線を張られていたにも関わらず、忘れた頃に先回りの通せんぼをされたような気分にすらなる。
とはいえ、永遠に続くロールプレイングゲームが昨今は増えているがそれも幾つか触れてはみても違った。そういう事ではない。
ちゃんと終わってくれていい。
そして伝説へ
その先を思わせる物語はいい。
「もしかしたら」「いつかまた」そんな曖昧な想像が心を救う。
志が低くて申し訳ないが、僕がいま目指したいのは「夢は終わる」と認識しながらも「夢に浸る」ような心。
これはかなり贅沢で理想的。
しかし多くの先人たちがそれをしていることを見受けるに、それは処世術なのだろうと思う。
つまりはポジティブ思考、という奴なのだろうけれど、ここまでの人生を省みるになかなか困難な案件である。
しかしここを超えれば脳天気に生きていけるかもしれないというところまでは来ている気もするので、
もう少し上手に
希望や夢を喰べてみたいと考える。