多重人格とか二面性とか
そういう言い方をせずとも元々人間というのは複数の感情というか
回答が居合わせるものなんだと思う。
それは物心
物心がつく、という言い方をするが
思春期の頃の、情報に色がつき匂いがつき、世界が良くも悪くも鮮やかに見えて
そのエネルギーに圧倒されるような経験は誰しもが通ることだが
恐らくその頃からだと思う。
自分の気持ちを疑うような気持ち、周囲を気にするような気持ちが芽生えるのは。
並び立つ心
主観と客観。その2つが基本的に立つようになり
ことごとくその選択に迫られるようなことになっていく。
勿論、それにイチイチ悩むものと、悩まないものがいるのは知っての通りだが
自分の思うまま、感じたままで行動を取ることにより経る失敗や後悔をもって
更に色濃く自分以外の思考や経験に意識が向いてくる。
最善の選択をとらんとする。
引き裂かれるような思い
真ん中に居ながら、左右真反対に引き合うような心がある。
しかしてその両方、紛れもなく否定し切れぬ自分である。それはどう逆らおうにも染みついた習慣。不安。欲。
一つのことに対してそうであるのに、更には複数の物事が取捨選択を迫ってくることもある。
何かをとれば、何かを失う。そんな場面は数限りなく訪れる。
今まさに引き裂かれるような思いだ、というような人がいるならば
それはきっと、どちらかの手を離すことが肝心なんだと思う。
引き裂いているのは自分なのだから。