世の中、いろいろな論争論議がありますけど
実のところ好きか嫌いかでしかありませんね。
話はそれだけ
もうこの冒頭で話終わっちゃうんですけど、
どれだけ自分の信念を押し付けようと、道筋立てて伝えようと
のれんに腕押しってことはたくさんあります。
人に限らず、動物みんなそうで
意にそぐわないものを受け容れるってのは、相当にストレスですし
無理から合わせたところで、誰も得しません。
得しません
いや、ほんと得しません。
これに尽きる。
話を合わせてその話題を打ち切るぐらいでしょう、利があるとしても。
紆余曲折あれ、好みってのは結構な理由があってその形に収まっていたりしますから
そうやすやすと捻じ曲げられるもんではありません。
例外はある
それが「食わず嫌い」であること。
要は、理由がないってこと。
意地や勘違いでそれを拒んでいた場合、うまくすれば本人すら予期せず嗜好に変化があり得る。
なので一概には言えないんですが
寝食を共にするわけでもないもの同士が、そこを突き詰めて言い合いになっているってのは
僕にはどうにも不毛に思えてしまう。
相手を慮っての説得というよりは、ただただ攻撃するばかりの行動には
馬鹿馬鹿しさすらありますし、なんなら周囲がイラつきすらする。
不毛ならまだしもそれでは、マイナスだ。
いいじゃないの精神
みんな違ってみんないい、というのは誰の言葉だろうか。
それでいいじゃないか。
勿論、そういった会話、コミュニケーションのすべてを無駄と言っているわけではない。
しかし刀を鞘に収めて今一度考えたときに
果たしてこの行動の辿り着くべき終着点はどこか、と考えて
それが単に「自己否定を過剰に危惧しての遠吠え」なら控えたい。
相手の目的もそうでない可能性がある。
互いに過ちならば、諌めあって笑いたい。
だってもしかすれば、互いが互いを好き合える仲も知れないと思えば
実に勿体無いから。
以上。