名曲の歌詞からの引用タイトルです。
僕はブログも書きますが、基本的にはツイ廃(Twitterにしがみつくように存在する廃人)です。
無責任なものです
申し訳ないのですが、僕は表現に於いての影響や二次的反応に責任は持てないと思っていますし
何より責任なんて、取れたものではないな、と達観というか俯瞰というかをしています。
「表現の自由」という言葉にもたれかかるつもりはありません。
それよりは聞き手の人に対して「もっと自分を持てよ馬鹿野郎」と逆ギレをしたい。
反抗せよ
反抗せよ。っていうと「グレろって意味ですか?」とか、いわゆるクソリプって類のものが飛んできそうな現代ですが
そうではなくて、
例えば俺が何と言おうと、誰が何と言おうとだ。そこには確固たる自分(あなた)があってのことを前提に伝えている。
僕の表現にしても、誰かの意見にしても、それはそこに向けて吹く風
それに対して帆を立てるのか、はたまた岩のように居座るのか、避けるのかの舵取りをしなくちゃダメだろって。
そういう話なんです。
いや勿論、こと大人に対してですわ。
子どものあなたにはごめんね。「ほんと気をつけて」って伝えさせて欲しい。
もっと言うなら「すべてを疑え。」それに尽きます。
誰かのせいにするな
これは自戒も踏まえてのこと。
影響だ環境だのせいにするのは簡単。お陰っていうのも簡単。
でも俺ならずるいから、やり遂げたときの喜びを倍にするために「自分のせいにする」のが一番だと思ってる。
勿論これも、気に入ったら参考にしてくれ。こんなんイチイチ言わんよ。
そもそも、気に入って手に取ったんならそりゃ紛れもなくあんたの意思だし。あんたのセンスだよ。
誰かの真似だとしても、ダサい奴の真似してんならあんたがダサい。そうでしょ。
誰の人生生きてんのよ
物凄い喧嘩腰ですみません。でもイラついちゃうんですこういう話は。
俺も大概ズルいけど、何でもかんでも被害者ヅラしてるのは腹立つってより「焦ったくて」たまんないです。
自分で決めたらいいのに。決めたって言い切ればいいのに。
もっかい言うけど、誰かのアイデアを参考にしたとしても、それはあんたのセンスだよ。
人権だとか、弱者だとか、そんな言葉に頼るにはまだはええだろって人が沢山いる。
とある方が「ようそこの若ぇの」って歌ってるうたで、「誰の言うことも聞くな、そう言ってる俺の言うこともだ」みたいなこと歌っていて
ほんとそれ。って思った。矛盾してるようだけど、そう言うしかないと思った。
自分は間違ってるかも知れない、と思いながらも見つけた新たな発見や提案は伝えたい。
不意に誰かのヒントになるかも知れない。って期待はあるし、その反面「言いなり」になる馬鹿野郎がいやしないかが不安になる。
何につけても、自分のことを判断するからには、自分が一番状況を理解できる配置にある以上
是非とも頼りある自分の意見を確立し、自律したハートを持って欲しいなと思う。
その上で、一対一、イチ人生としてまた発言や表現をする1個体になれたときには
きっと色々、より取り見取り。より楽しくも明快な人生が訪れるかと思う。