表があるから裏がある
裏があるなら表がある。
そういものだと思うんですよね。
そう信じていたいって話
どんな聖人君子を見ても、クズを見ても
どこかその人を攻略する糸口を探すクセがついています。
これは世間知らず故になのか、ドラゴンボールで育ったからなのかわかりませんが
目に見えるところは一端。まるごとを知ったような口振りはしても、それが本心ではない
当然の当然、いわゆるフツーの部分で大前提にそこはある。
外面のいい人もどこでバランスをとっているんだろうなって気になったりします。
掘り下げて、そこがイーブンにならない人って今までいないですね。
お腹と背中
これは人格の話だけに当てはまることでなくて
ほとんどの理にハマることだと思ってます。
史実に習うところで済ませられたいいんですけど、誰しも人生1回目。
「ほんとにそうか?」とかやっている間に誰かと同じ過ちに転がっていたりしますね。僕なんかはそうだ
水不足資源不足。奪い合えば足らぬ
繁栄の影には困窮があったりするもので、それを後追いででもバランスをとれるのが人間なんだとも思うけれど
そうしてバランスを崩していくのも生き物のサガ。大きくみたらそれらも自然の一環とも言えるし、
まさにそれに尽きる話である。
1個体
地球はまん丸いけれど、ある対象から眺めたとしたらその時点で表と裏が発生する
見える場所と見えない場所。
恨みのようなものが芽生えたときにこそ、僕は愛情というものの存在を肯定すると思っていたりもするのだけど(“恨みは裏身”という持論があります)
この考えは使い手を誤ればただの狂気であり凶器。
でも、愛情が、気狂いの1つだってのは確かなんだ。決して完全完璧な感情ではない
でもやっぱどっか超越してる感情だと思うから、素敵だと言い続けたいと、強く思います。