こんなことでお金貰っていいんですか??
派遣アルバイトということをやっていたとき、そんな場面によく出くわした。
1日座っているだけ。飯を食ってヘラヘラしているだけ。それで2、3日は食いつなげる金銭を頂く。
いかにも健康的ではないとは思うのだが、今はそれは間違いなく貰うべきだったと言い切れる。
時間は有限
人生を切り売りしているという自覚が足らなかった。意欲もなくだらだらと生きていた自身の若さに甘えていたと痛感する。
その時間は喉から手を出したとしても取り返せないもの。それを他人様の都合にくっついて垂れ流すハメに陥ったのなら
それは充分に対価を頂くに値する。そう自覚すべきだなぁと思う。
誰しもが”楽”だと感じるものではない
環境が変われば、そんな怠惰な時間というものは途端に顔を一変する。
例えば”退屈な話をする同僚がいる”だとか”要領の悪い上司がいる”だとか”三日間風呂に入ってないクライアントがいる”だとか想像してもらえば易いと思うが
感じる側によりけりで何ともないこともあるだろうが、苦痛として捉えるならばその時間は実に辛いものになるだろうと思う。
因みに僕は日による。
力仕事が殆ど
こう堅っ苦しいことばかりをいうもんだから、脳みそを使うことが好きそうに思われがちであるが
これはある種、抵抗の仕様のない病気のようなものであるから何も好き好んでやっていることではない。
この人生の8割は力仕事(バンド活動含み)をして生きてきています。
お陰で苦に思うどころか「任せなさい!」と言わんばかりに気合いが入る始末で
そんな人生を送ってきた甲斐あってか、来週には不思議なことに別々の知人の引越し手伝いか2days発生しました。
しかしこれもまた力仕事が苦手な人にとっては地獄なんだろうと考えるわけだ。
好きこそ物の上手なれ
この言葉の示すところとはズレてしまうけれど、世間的な観点などというものは常にブレブレなわけで
それがマイノリティな感覚であろうがなんであろうが、常に自分の視点、感覚が世界の中心でいい。それ以外はどこまでいっても憶測の域を出ない
ただ、冒頭のこんなことでお金貰っていいんですか?と思えることというのは貴重な経験だということは覚えておくべきで
それは自分に適した仕事なのかも知れない。そうやって、人は互いに得意不得意をなすりつけあって補い合うことで“上手に”回っている。
ならばそれは自分の役目として適切なのかもと思うと、その迷いは必要ないものだとわかる。
これは自戒です。
僕はバンドをやることを誰の為にはじめてはいないし、歌なんていくらでも何度でも歌えるもの。それに価値を見出して対価を貰えることへの違和感が、未だに消えないんですが
そうではないと。これをじゃあ他の人がやったときには怖いだとか辛いだとか感じることもあるんだよなと思えば
これは立派に仕事となるのだなと、自覚したいなと思うわけです。
生きることは即ち、嫌なことを負うべきであるというような蔓延したロマンは、傍迷惑な話だよなと知っておきたい。