途中まで行っていた歌の専門学校で、いつもは素っ頓狂なことしか言わない先生がいて
どうにも胡散臭く、のらりくらりと核心を避けるような印象だったんですが、どこか深い知性を感じるところがあって
いつもは惚けたことしか言わないのに、スンと真面目なトーンになると哀しみを帯びたような助言をくれました。
夢はあるか
音楽学校に来るような逸れものにそれは愚問ではないのか、いやある意味「何となく」来た俺のような奴への当てつけか
そんな質問ではあります「夢はあるか」
その切り出しから話し始めたのは夢というものの叶え方。夢とは何なのか。
真面目に学校に行っていたような方々には当時から当たり前な話すぎることでしょうし、今となればここに書くのも恥ずかしいようなことではあります。
しかし自戒も含み敢えて書いていきますね。
彼の言い分
バンドマンをやっていれば、意識しないことはないのが「メジャーデビュー」
現代に於いては最早選択肢の1つ程度に収まってはいますが、わかりやすい例えとして使います。
「大きなところで歌いたい」「有名になりたい」「歌をうたい続けたい」
夢ってのはそんな漠然とした、いい意味でも悪い意味でもボヤけていてあるがままわがままな存在だと思いますし、それで良いのだと思っていますが
「それを真に願うならば段取りを組む必要がある」というのが先生たる彼の言い分でした。
その願いの叶え方の1つとしてポピュラーなのがメジャーデビュー。全国区に自分の存在を知らしめる、一般的にも知れ渡る(というイメージの)王道中の王道
聞くに、事務所に入ると言っても色々な理由や方式があるようですが、雑破に言って、自分以外の人間に音楽以外の諸々を手伝ってもらい、分け前を渡し合い共存共栄関係を結ぶことかなと思います。
活動という活動をしているならまだしも、その必要性「痒いところ」というものが若輩にはわからない。
そのときの僕にはイマイチピンと来てなくて「わずらわしい」という印象が強かったように思います。
方法であり目的ではない
メジャーデビューに限らず、ここでいう「目的」はそれぞれの夢であり、夢ではありません。
専門学校のようなところには、いざ掘り下げてみると「メジャーデビュー自体が夢」という、頓珍漢な夢の持ち主もいたりするわけです。
それには本人も、掘り下げてみないと気づいていなかったりして「そのあとはどうするの?じゃあそのあとは?」という問いには答えられなかったりします。
でもそれではあらゆるところに弊害が生まれるんですよね。事務所の人間としても、ただの人形に来られて都合のいいところと許されないところはあるでしょうが
それにその土壇場で気付かれたところで、もはや一蓮托生の業務提携関係ともなれば、そこはそんなことでは困る。
何より、そのとき困るのは自分自身かと思いますし「メジャーデビュー自体が夢」だとしても「メジャーに居続ける努力」がその後には必要で
その下準備というかを下積み時代から想像しておき支度することが必要で、何より当時の僕らには可能だった。
メジャーデビューとは何かを考える
それぞれのメジャーデビューに位置するものに置き換えて聞いて欲しいと思いますが
自分の夢を紐解いていくことは、漠然さを廃していくような
ある種女性の化粧を落としていくような()不条理さというかを感じますが、専門学校という特異な場所に於いては「夢」というのはど真ん中の材料、寧ろそこを紐解かずに何を教育するのか、というところかとも思います。
話を聞けば聞いただけ「メジャーデビューメンドクセェ」となったのが当時の僕であり落伍者たる決め手だったかとは思いますが、
自分の目的を見つめ、その為には何を用意すれば良いのか、その未来に至ることで何が起こり、何が弊害となっていくのか
そのとき多用された表現として「ビジョンを描く」というのがありましたが、他人様方との共存共栄ともなれば自分のイメージを伝え共有する必要も出てくるわけで
自分のしたいこと、していかねばならぬことを予め描き切っておく必要性がありましたし、
それを聞いて、自らのコネクションや培った知識や技、それらを駆使することによって叶えてくれるのが事務所の方々なのかなと思います。
そんなようにお互いに、「仕事」という言い方をするまでもなく、淡白に熟すべき諸用は多く発生する
並行して在る自らの生活や自覚はどうか。どんなアーティストになるべきか
そもそもそういう自身の魅力の伝え方(プレゼン)はどうするか、どうすれば一番魅力的に好意的に映るのか。事務所の人間を落とせるのかは考えているのか。
「歌さえうまくなれたら何とかなるだろう」と思っていた人なんかはここでぽかんとなっていたようにも思いますし、
僕のようにそれでも「まぁ歌がうたえたらいいし、最悪歌えなくてもいいかも」とか現実逃避しっぱなしの人間には右から左でしたが、
先生は特に情熱的なわけではなく諦めの境地のような顔をいつもしていたので僕のような落伍者には気づいていても放っておかれてました笑。
何となく気づいてはいたものを、敢えて掘り下げて肉薄して凝視するような行動というのは実に効果的だなぁと思います。
メジャーデビューは飽くまで通過点
まぁつまりはこういうことで
「お前が言っていることは他人に対しての漠然とした名乗りであって具体的な目的を伝えるものではない」といったような
「メジャーデビューがしたい」ということはどういう事なのかを今一度理解し直す必要性を言っているわけです。
これはメジャーデビューに限った話ですが、往々にしてどの業界にもある事だと思います。人を動かすには「歌が上手い下手、よりはプレゼンにかかっている」ということ
彼はその当時売れていたような人たちを引き合いに出し「あいつも下手。こいつも下手。でも売れている」ということを言っていました。
ある意味「専門学校には来る意味がないよ」と言わんばかりの文言ですし事実、そう言っていたんじゃないでしょうかね。あの人ならばあり得る。
「夢は漠然としたもの。」それは相変わらずで良いのですが、旅に例えるならば完全な住所まで知らずとも少なからずそれがどの県の辺りにあるのかぐらいは知っておけ、というようなこと。
よくも知らないからこそ夢たり得るとも思うし、いわば陽炎のような、近づけば搔き消えるようなものでこそ夢だとも思います。
ただ、馬の眼前に吊るす人参として、自身の推進力、活力の源として夢をぶら下げ続けるのは必要。より甘美な妄想にいそしんでこそかと思いますが
少なからずその人参に手が「届きそうな」位置ぐらいには属していなければエクスタシィもありませんから。
夢と目的は似て非なり。旧夢→現目的、その繰り返しで一歩一歩近づいていくべきなんだろうなと
三十路を過ぎ、非常に遠回りをした挙句、自らの過ちをもってして
かつての先生と同じような哀しい目をしておちゃらける。おそらくあの頃の先生ぐらいの歳になった老兵からの言伝です。