仕事は仕事、遊びは遊び
公私混同という言葉があるけれど、そのすべて、結局は繋がっていると思うのだ。
無駄をなくそうという思考
建設的行動、賢明な判断。そのほとんどは結果論に他ならないし
「〇〇をしなければ或いは…」なんてのも、自分の気持ちを落ち着ける意味では正しいが、
それに例えばとらわれて落ち込むようなことがあるなら、きっとそれこそ無駄な思考。
とはいえ何を隠そうそうなりがちなのは僕であるからこそ、そんなときの対処法というか
アンチテーゼを伝えたい。
すべては関連づいている
僕は神様どうだという人ではない。
単純に具体的に現実的にそう思うのだ。
何かをしなければ…と後悔するよりは
何かをしたから…!と考える。
それは何かがうまく働いたときにも同じ。どこかで失敗したからこその成果
それはわかりやすく関連づいたものに留まらず、生活レベルで触れたすべてのもの
気温から体調から気分から何から他人事ではないのだと思う。
バタフライエフェクト
「バタフライエフェクト(効果)」という考え方、というか現象というかがある。そのままのタイトルで映画にもなっている現象だが
蝶の羽ばたき1つで関連性のなさそうな遠方の気候が変化するというようなことで
まさに僕が冒頭でいったようなこと。
これらを事実として裏をとるのは困難だと思うが、僕はこの考え方が気に入っている。
自分がどうにも恵まれない展開にばかりぶち当たっても、何某かを心当たりにして納得するような
そんな考え方だと思っている。
逆も然り、いいことがあれば、神様なんかには飛ばさず近くの誰かにそれを感謝したいと思う。
有難うと言いたくなる。無理くりなようではあるが、僕の中では無駄のない合理的な思考に思えている。
全部、繋がっている
遠い話だけでなく、鬱陶しい心をまとったままの自分というのは得てして悪手を取りやすい。
迷いなのか欲なのかで惑わされ、余計な一手を踏むのだと思う。
プラスの気持ちはプラスを生むし、プラスを受け入れられるように思うし、マイナスの思考はマイナスを次々に取り入れるから悪循環に陥る。
その一点が線をなし、その線が面を築く。果ては自分を覆い尽くすだけの次元に発達してしまうだろうから
その一手一手には気をつけるべきなんだとここでは提唱したい。
自分の中で収められているつもりの感情もまた、周りの人間には伝染し得るものだから
広い目で見て、自分の管理を気をつけてみませんか。どうですかね。