そう思春期の頃からずっと。
それをようやく。ようやく歳が追いついてきて
揶揄されることなくダサくあれる。ダサさを、あぁもとい俺言語的には「最高にカッコいい」を
目指せる。提示できる。
そんな時代がやってきた。
バンドをやっているからって
モテたいだなんて思えたことがない。モテた日にはロクなことにならないのが容易に想像がつくし、憧れない
いや好きになっちゃったら仕方ないけどさ。それは仕方ない
そういうのを取っ払った、性別だとかを超越した共感のようなものが美しいし、
魂の共鳴とはよく言ったものだけど、そうもっとプラトニックなものが欲しいわけよ。いや実際、どこも異性のお客さんは多けれ
それは異性の物言いが先ずスムーズに受け取れてしまう生態故にだろうさ。それは仕方ない。
自分で言うのは何だが、男のバンドマンにだって共鳴してるのさ。沢山沢山。同じニンゲン、カワラナイ、ニンゲンクウ。
チガウ。
チガウ
見た目の格好もそうだし、作品アプローチもそう
何というか野暮ったくてアナログで、子供のような、ときにオッサンのような表現でありたい。
それってのは多分、高尚なものが群雄割拠、せめぎ合っている様を見ての対照
そうならば僕は逆をいこう、きっとこっちにもニーズがあって、あれらに感じられていない人がいる、というような
消去法ではないけれど、役割分担なような使命感がある。
自分がそこに気づき、自覚したのはきっと高校で初めてバンドを組んだあの日からと思う。
ラルクアンシエルになれなくて
活路を見出す、といえばそう。
バンドメンバーがまぁイケメンバンドばかりをやりたがるもんだから
重荷も重荷。あれに比べられたら堪ったもんじゃないよと、思春期の僕は針の筵にでも立たされているような感覚があったものです
まぁそれも、思春期ならではかも知れませんね。見た目の良し悪しなんてのは精神性には遠く及ぶものではなかった。それは別の話。
ラルクアンシエルになれなくて、僕はいろんな見本を見て回ったのだけれど、
どこにも僕の求むる塩梅のダサい人はいなくて。
習うことはかなわない、ならば模索して仕上げていくほかないなと、今に至るわけです。
どうですか
僕にダサさ、感じてくれてますか?
ダサいはあったかいんですよ。決して突き放さない。
生きている中で随所から粒ほどに感じられたそれらをかき集めて、僕は僕の中にそれを繋ぎ止めていたい。
隙だらけで、取り留めもなくて、間抜けで阿呆な
そんなものをまとっていたい。
クール=冷たいというのもなるほどであるなら
ウォームなものでありたい。ホームなものでもいい。
いまアマオトの新曲の歌詞を書いていたんですよ。追加コーラスがなかなか埋められなくて。やっと書けた感
今回も不格好な言葉回しが出来上がりました。
ダサい。
7/17には間に合わせる算段ですのでね。お楽しみに。