ここ最近、発作的に
「好きだ!!」と言いたくなることがあるが
そのときはいつも一人でいるときで、大概はバイトの帰りである。
そして全くもって対象物を持たない言葉。妄想とも結びつかないような当てずっぽう。何なんだろうと自分でも不思議だ
嫌いなものは先に食べる主義
あとにそいつが控えているということが億劫であるから、しらみつぶしにするクセがある。
それで、ことを急いて周りを置いてけぼりにしてしまうのだが、何をそんなに落ち着いていられるんだろうと思うぐらい不安が怖い。そんな不安に沿って道を行ってしまうから不安定だなどと言われるんだろうな
安定を求めての道程なんだけれど。
脱線した。
そのしらみつぶしが一通り終わったときなんだろうか「よーし楽しみにしてたんだぜーー」と言わんばかりにムクムクと感情が湧いてくる。
お腹が空いていればご飯。連勤続きでまともにギターを弾けていなければギター、という具合に
心が喜ぶ。
溢れんばかりの充実感
寧ろ溢れてしまっている気もする。
ここ最近はバンドがとても愛しく楽しく、我慢ならないぐらいにイマジネーションが掻き立てられるもんだから
きっと紛れもなく僕は幸せの中にいる。母ちゃんの腹の中にいたときよりもってくらい、包まれて感じる。
いつもヘラヘラしているようだから誤解されがちだけど、仕事中はイライラしがちな人種な僕は
付き合いの長い同僚には悪態をつくしつかれるし、歯に絹着せぬ暴言もぶつけたりぶつけられたりするから、時折真っ黒になってしまうのだけど
そんな人たちの顔を見てて、とても暖かい気持ちになったりすることが増えた。そして反省をする。繰り返しではあるんだけどね
こんな日々が続くなら、それは退屈とも言うが同時に
日々が続くとは限らないと知ってしまってからは、なるほど愛しいなと思うのだ。
手元にその全てが任されている
スーパーファミコンのコントローラーか、それよりももっとシンプルな装置で足りるかもしれない。
人間のみならず、目に映る、耳に残る、手に触れる諸々には好印象だけが残ることはない。
でもそこで感情がどう動くのかは、どこまでもこちらの裁量な気がしている。
心から照れくさいので、なかなか愛情を向けようとは思わない幾つかのこと。
もしくはまだゼロ故に、マイナスには至っていない幾つかのこと。
ほんの短い人生だから、自身の手垢をつけていない、プラスに転じる可能性はまだまだまだまだあると感じる
それを嫌いになるのも、好きになるのも、歩くには同じ距離だ。
ならば誰かを、好きになるのなんて簡単だなって思えないか。どうかな